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大阪高等裁判所 昭和49年(ネ)1423号 判決 1982年5月25日

控訴人 昭和四九年(ネ)一二一二号事件につき 高橋喜美 ほか三名

昭和四九年(ネ)一二三三号事件につき 田中淳

昭和四九年(ネ)一四二三号事件につき 塚本福

被控訴人 国

代理人 澤田英雄 西元忠志 ほか二名

主文

一  原判決主文第一項ないし第三項を取消す。

二  被控訴人の控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠、同田井一男、同田中淳に対する本訴各請求を棄却する。

三  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の本件各控訴中、反訴各請求に関する部分及び控訴人塚本福の本件控訴をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、被控訴人と控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠、同田井一男、同田中淳との間に生じたものは、第一、二審を通じ、これを三分し、その二を被控訴人、その余を同控訴人らの各負担とし、被控訴人と控訴人塚本福との間に生じた控訴費用は同控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠、同田井一男

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  被控訴人と控訴人高橋喜美、同高橋揚との間において、同控訴人らが別紙第一物件目録記載(一)の土地につき所有権を有することを確認し、被控訴人と控訴人田井一男との間において、同控訴人が同目録記載(二)の土地につき所有権を有することを確認する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

旨の判決。

二  控訴人田中淳

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  被控訴人と控訴人田中淳との間において、同控訴人が別紙第二物件目録記載の土地につき所有権を有することを確認する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

旨の判決。

三  控訴人塚本福

控訴人塚本福は、適式の呼出を受けながら当審における各口頭弁論期日に出頭しなかつたが、その陳述したものとみなされた控訴状には「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求める旨の記載がある。

四  被控訴人

1  本件各控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人らの負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  被控訴人の本訴請求原因

1  被控訴人は、別紙第一物件目録記載(一)ないし(四)の土地(以下「本件土地」という。)を所有している。その所有権取得原因は次のとおりである。

(一) 社寺領上知令に基づく所有権取得

(1) 明治初年における明治新政府の土地制度改革にあたり、社寺領上知令(明治四年一月五日太政官布告第四号、以下「上知令」という。)により、寺領地は、「現在ノ境内」(以下「現境内」又は「新境内」という。)に属する土地(以下「新境内地」という。)と「現在ノ境内ヲ除ク」地域(以下「新境外」という。)に属する土地(以下「新境外地」という。)に分離され、新境外地はすべて上知の対象となり、上知処分により官有地となることになつた。なお、明治四年五月二四日太政官達第二五八号(以下「太政官達第二五八号」という。)は「墓所ヲ除クノ外上地ノ儀」と定め、墓所を上知処分の対象から除外しているが、右除外された墓所は、新境内に属する墓所を意味するものである。

(2) ところで、本件土地は、もと相国寺の寺院旧境内地に属する免税地の墓地であつた(以下、本件土地を「本件墓地」ともいう。)が、上知令上、新境外に属する新境外地であつたから、上知令に基づく上知処分により官有地となつたものである。

(二) 地租改正に伴う官民有区分による所有権取得

仮に、右上知処分による所有権取得が認められないとしても、次のとおり地租改正に伴う官民有区分によつて本件土地は官有地となつたものである。

(1) 明治新政府は、従来旧藩主の手中にあつた地方の政治を統轄して中央集権化すべく、明治四年七月一四日廃藩置県を行つたが、租税制度の統一を図る必要から地租改正作業を行うことになり、同六年七月二八日太政官布告第二七二号をもつて地租改正条例が公布され、右公布により、土地についてはすべて官有地と民有地とに分離され、民有地については地租を収納することになつた。そのため、民有地を明確にする必要が生じ、地所名称区別(明治六年三月二五日太政官布告第一一四号、以下「地所名称区別」という。)が定められ、民有地については地券が発行されることになつた。そして、地所名称区別によれば、上知令による上知の対象から免れた寺院の新境内地は、当分の間「除税地」とされたが、その後更に右区分を細分化するため改正地所名称区別(明治七年一一月七日太政官布告第一二〇号、以下「改正地所名称区別」という。)が布告され、官有地については第一種から第四種に、民有地についても第一種から第三種に区分された。

(2) 本件土地は、前記のとおり、相国寺の寺院旧境内地に属する免税地の墓地であつたから、地所名称区別により除税地に該当し、更に、改正地所名称区別により官有地第三種に該当するものとして官有に区分されたものである。

(三) 以上のように、本件土地は被控訴人の所有に属するものであるが、そのことは次の事実からも明らかである。

(1) 地租改正条例等一連の地租改正処分過程において、民有地とされたものについては地券が発行され、その結果、地券台帳、その後その廃止に伴い右台帳を整理修補した土地台帳にその旨登載されているべきものであるが、相国寺に対し本件土地の地券は発行されていないし、地券台帳、土地台帳にもその登載がなされていない。

(2) また、社寺上知処分又は地租改正の際官有地とされた土地について不服がある者は明治三三年六月三〇日までに主務大臣に下戻の申請ができることになつていたが、本件土地についてはそのような事実はない。

(3) 地租改正処分によつて官有財産とされた社寺敷地については、その後旧国有財産法(大正一〇年法律第四三号、以下同じ。)二四条に基づき寺院に対しいわゆるみなし無償貸付けされていたが、その後右規定は廃止され、従来みなし無償貸付けされていた国有地のうち宗教活動に必要な部分は社寺等に譲与されることになつた。

そこで、相国寺は昭和二三年四月二〇日同寺使用の国有境内地四万八六六四坪余については譲与申請をなし、同二六年九月一八日付で三万七七〇〇坪余についてその許可を受けたが、本件土地については国有地であることを認めていたにもかかわらず、譲与の申請もせず、したがつて当然のことながらその許可もなされていない。

2  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠は、別紙第一物件目録記載(一)の土地(以下「(一)の土地」という。)上に同目録記載一の各工作物を設置して同土地を占有している。

3  控訴人田井一男は、別紙第一物件目録記載(二)の土地(以下「(二)の土地」という。)上に同目録記載二の各工作物を設置して、同土地を占有している。

4  控訴人田中淳は、別紙第一物件目録記載(三)の土地(以下「(三)の土地」という。)上に同目録記載三の工作物を設置して、同土地を占有している。

5  控訴人塚本福は別紙第一物件目録記載(四)の土地(以下「(四)の土地」という。)上に同目録記載四の工作物を設置して、同土地を占有している。

6  よつて、被控訴人は、本件土地の所有権に基づき、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠に対し別紙第一物件目録記載一の各工作物を収去して(一)の土地の明渡を、控訴人田井一男に対し同目録記載二の各工作物を収去して(二)の土地の明渡を、控訴人田中淳に対し同目録記載三の工作物を収去して(三)の土地の明渡を、控訴人塚本福に対し同目録記載四の工作物を収去して(四)の土地の明渡をそれぞれ求める。

二  控訴人塚本福を除く控訴人らの、本訴請求原因に対する答弁

1(一)  請求原因1の前文の事実は否認する。

(二)  同1(一)の事実及び主張中、太政官達第二五八号が「墓所ヲ除クノ外上地ノ儀」と定め、墓所を上知処分の対象から除外していること及び本件土地がもと相国寺の占有地という意味で寺領地の墓地であつたことは認めるが、本件土地が上知処分によつて官有地になつたことは否認し、その余の事実及び主張は争う。

上知令によれば、社寺領は現在の境内を除いて一般に上知されることになつているが、太政官達第二五八号によれば、墓所は上知から除かれることになつており、右上知令及び太政官達を総合解釈すれば、結局墓所は上知の対象から除かれ、したがつて本件土地は上知されなかつたというべきである。

(三)  同(二)の事実及び主張は争う。

(1) 本件土地について、改正地所名称区別における官民有区分がなされたのか否か確実なところは全く不明であり、また、地所処分仮規則(明治八年七月八日地租改正事務局認定、以下「仮規則」ともいう。)第六章「墓地処分ノ事」第二条が適用されたのか否かも分らないが、少なくとも第六章第一条から第五条までの限りでは、墓地である本件土地を官有となすべき根拠は見当らない。このことは、地券が発行されていなくても同様である。官民有区分が行われたとすれば、当時官民有の記録を記載したとされる官有地帳簿、民有地帳簿のいずれかに本件土地が登載され、それらの結果が後日に国有財産台帳又は土地台帳に引継がれ地籍の把握がなされていると考えられる。そのいずれにも記載がなく、地券発行の形跡もないことは、官民有の区分がなされず、その手続から脱落したと考えるのが自然である。官民有区分から本件土地が脱落していたとしても、寺領地としての支配形態が温存された蓋然性が高い。

(2) 被控訴人は土地所有の概念は官民有区分に始まると主張するもののようであるが、仮に、近代的な土地所有権の概念の萌芽が官民有区分にみられるとしても、それは土地所有権そのものを創設するものではない。したがつて、本件土地について官民有区分がなされなかつたとしても、所有権の存在が否定されるべきではない。本件墓地の寺領地としての占有支配は、現在においても所有権としてみられるべきものである。

(四)(1)  同(三)(1)の事実中、相国寺に対し、本件土地の地券が発行された形跡がないこと及び地券台帳、土地台帳にも本件土地が登載されていないことは認めるが、そのことから本件土地が国有であるとすることはできない。むしろ、本件土地に対しては官民有の区分がなされず、その手続から脱落したとみるのが自然であること前記のとおりであるから、地券の発行がなされず、したがつて前記各台帳に登載されていないのは当然のことであり、これをもつて相国寺の本件土地に対する所有権を否定する根拠とはなしえない。

(2) また、被控訴人主張の下戻の申請手続も、上知処分又は官民有区分の手続が実際に本件土地について行われたことを前提とするものであつて、本件土地に対しては上知処分も官民有区分もなされなかつたとみるべきであること前記のとおりである以上、右下戻の申請手続がなされたことがないことをもつて本件土地が国有地であることの根拠とすることはできない。

(3) 同(三)の(3)の事実中、相国寺が昭和二三年四月同寺使用の国有境内地について譲与申請をしたこと及びその際本件土地については譲与申請をしていないことは認めるが、そのことから本件土地が国有地であると断定することはできない。それは、相国寺が本件土地を、あるときは国有地とし、あるときは自己所有地であると主張していたことを考えれば、相国寺が他の国有境内地について譲与申請をした昭和二三年四月当時においては本件土地は自己の所有地と考えていたかも知れないからである。

2  請求原因2の事実は、(一)控訴人高橋喜美の関係ではすべて認める。ただし、板塀の長さは南端から約八・二五メートルである。(二)控訴人高橋揚の関係では新トタン塀を設置したことは否認し、その余の事実はすべて認める。ただし、板塀の長さは南端から約八・二五メートルである。(三)控訴人高橋悠の関係ではすべて否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4の事実中、占有土地の範囲は争うが、その余の事実は認める。占有土地の範囲は、抗弁及び反訴請求原因において主張するとおりである。

三  控訴人塚本福の、本訴請求原因に対する答弁

控訴人塚本福は適式の呼出を受けながら原審及び当審における本件口頭弁論期日に出頭しないが、原審において陳述したとみなされた答弁書には「被控訴人主張の土地はもと相国寺墓地であつたが、墓地の移転に伴い空地となつたので相国寺の許可を得て使用を始め、昭和三二年には本件塀を築造した、しかし同四四年に近畿財務局より照会があつたので、本件土地が国有地であること及び塀の内側を占有使用していることを認め、同時に払下げを願い出た次第である。」との記載があり、当審において陳述したとみなされた控訴状には「控訴人塚本福の事実上及び法律上の主張は原判決の事実摘示と同一である。すなわち、(四)の土地はもと相国寺墓地であつたが、墓の移転に伴い空地となつたので、同控訴人は相国寺の許可を得て使用を始め、昭和三二年に被控訴人主張の工作物を築造したもので、同四四年被控訴人の出先機関である近畿財務局より照会があり、その際同控訴人は被控訴人に対し払下げを願い出たのに、その後なんの音さたもなく本訴提起に至つたもので、原判決には不服がある。」旨の記載がある。

四  被控訴人の、控訴人塚本福を除く控訴人らの主張に対する反論

1  本件土地が官民有区分手続の履践されなかつた脱落地である旨の主張は争う。いわゆる脱落地とは官民有区分の際に調査もれのために民有地に区分されなかつた土地をいうものである。ちなみに、いわゆる脱落地が国有であることは今日では学説判例において肯認されているところである。

2(一)  寺領地であつたことをもつて相国寺が本件土地の所有権を取得している旨の主張は争う。相国寺が本件土地を占有支配していたことをもつて寺領地という概念を用いるものだとしても、上知令以前から占有支配していたことだけでなぜ本件土地の所有権を取得することになるのか、右主張ではその法律的な根拠が明らかでない。

(二)  控訴人らは、官民有区分は土地所有権を創設するものではないと主張しているが、本件土地が官民有区分の際に民有地として扱われるべき客観的条件を備えていたことについての主張が欠けているので、主張として不十分である。

(三)  相国寺の境内敷地については「民有地の証なきもの」として官有地第四種とされ(改正地所名称区別、仮規則第七章第二節第一条)、その後前記のように、旧国有財産法二四条によつて国からの無償貸付財産とみなされ、譲与処分を経て始めて相国寺の所有が認められている。このような事情からすると、相国寺が支配していた境内敷地(旧境内地も含めて)は民有地の証あつたものとはいえず、当初から関係者によつて官有地として認識されていたのではないかと思われる。

新境外地にある本件土地だけが官民有区分に際して民有地の証があつたとは思われない。そうだとすると、民有地となる契機がないから、相国寺の所有権は認められない。

五  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男の抗弁

1  (一)、(二)の各土地は昭和九年春ころまでは墓地であつたが、そのころ墓石が撤去され、墓地の用を廃した。高橋貞三は(一)、(二)の各土地につき遅くとも昭和一〇年一月一日から、(一)の土地については同四七年八月九日死亡するに至るまで、(二)の土地については同二三年九月に控訴人田井一男にその占有を移転するまで、占有を継続したものであつて、(一)の土地については同二九年一二月末日の経過をもつて二〇年の取得時効によりその所有権を取得した。そして、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠は高橋貞三の相続人として、(一)の土地の持分各三分の一を承継取得し、その後同五二年三月中に、控訴人高橋喜美、同高橋揚は同高橋悠の右持分の各二分の一を譲受けた。

2  控訴人田井一男は昭和二三年九月、(二)の土地の占有を高橋貞三から承継し、現在に至るまでその占有を継続しているもので、同二九年一二月末日の経過をもつて、また自己の占有期間のみでは同四三年九月末日の経過をもつて、二〇年の取得時効が各完成し、その所有権を取得したものである。

六  控訴人田中淳の抗弁

1  (三)の土地は昭和九年まで墓地であつたが、同年春墓石が撤去され荒地として放置されていた。控訴人田中淳の父田中庄作は(三)の土地と一部重複する別紙第二物件目録記載の土地(以下「第二の土地」という。)につき昭和一〇年一月一日から、同二五年七月二四日田中庄作死亡後はその相続人である控訴人田中淳が現在まで、いずれも継続して占有してきたものであつて、同控訴人は同二九年一二月末日の経過をもつて第二の土地につき、したがつてまた右のうち(三)の土地に属する部分につき、二〇年の取得時効によりその所有権を取得したものである。

2  仮に、そうでないとしても、控訴人田中淳は昭和三四年から現在まで第二の土地を継続して占有してきたものであつて、昭和四四年の経過をもつて一〇年の取得時効によりその所有権を取得したものである。

七  被控訴人の、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男の抗弁に対する答弁

相続関係及び(一)、(二)の各土地が明治一〇年ころまで墓地であつたことは認めるが、昭和九年春ころまで墓地であり、そのころに墓地の用を廃したこと及び高橋貞三が同二三年九月中に(二)の土地の占有を控訴人田井一男に移転し、同控訴人が右占有を高橋貞三から承継したことは不知、その余の事実は否認する。

八  被控訴人の、控訴人田中淳の抗弁に対する答弁

控訴人田中淳が田中庄作の相続人であること及び(三)の土地が明治一〇年ころまで墓地であつたことは認めるが、昭和九年まで墓地であり同年春ころ墓石が撤去され荒地として放置されていたこと、田中庄作の死亡により同控訴人が第二の土地の占有を承継したことは不知、その余の事実は否認する。

九  被控訴人の再抗弁

(一)、(二)ないし第二の各土地に対する控訴人塚本福を除く控訴人ら主張の各占有が、仮に主張のとおり昭和一〇年一月一日に開始されたとしても、右各占有はいずれも他主占有にすぎない。すなわち、

1 控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠の先代高橋貞三は本件土地に隣接する京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町六三六番一地上所在の家屋番号二四二番の建物を所有し、右控訴人らはこれを相続によつて取得したものであり、同田井一男は同地上所在の家屋番号六三六番一の建物を所有しているが、右控訴人ら(ただし、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋愁はその先代高橋貞三のころから。)はそれぞれ右各建物の底地である六三六番一の土をその所有者財団法人万年会から借地しており、また控訴人田中淳は右六三六番一地上所在の家屋番号二三四番の建物をその所有者日本基督教団同志社教会から賃借している借家人にすぎない。そうすると、控訴人高橋喜美、高橋揚、同高橋悠及び同田井一男が各所有する各建物の裏庭部分として(一)ないし(二)の各土地を使用しているという現実の利用状態からいえば、同控訴人らの右各土地に対する占有は各建物の底地たる六三六番一の土地の占有と全く無関係な別個独立した占有とみることはできない。したがつて、同控訴人らが地主たる財団法人万年会との間の借地契約に基づき建物敷地として六三六番一の土地を他主占有している以上、特段の事情のない限り、占有の根拠となつた客観的事実の性質からいつても、右土地と一体的利用関係にある(一)ないし(二)の各土地についてのみ自主占有が成立するということは、論理的に無理があり、また、控訴人田中淳も六三六番一の土地と一体として第二の土地を利用しているとはいえ、同控訴人は右地上所在の建物の単なる賃借人にすぎない。したがつて、同控訴人の右建物の敷地利用権は、家主でありかつ借地人である日本基督教団同志社教会の権原を援用してのみ可能であるから、特段の事情のない限り、右土地と一体的利用関係にある第二の土地についてのみ自主占有が成立することのありえないことは、その占有の性質上明らかである。

2 仮に、同控訴人らに前記各建物底地の占有と別個に独立して(一)、(二)ないし第二の各土地の占有が認められるとしても、同控訴人ら(ただし、控訴人田井一男については前主三野初雄又は控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠の主張が正しいとすれば高橋貞三、控訴人田中淳については先代田中庄作)は昭和二一年三月ころ、当時右各土地を管理していた相国寺に対し文書をもつて右各土地の借用を願出て、同寺はこれに承諾を与えているのであるから、本件土地が国有地であることを同人らにおいて知らなかつたとしても、他人所有地との認識を有していたことは明白である。

3 したがつて、その後において民法一八五条にいわゆる占有の性質の変更がない限り、同控訴人らの(一)、(二)ないし第二の各土地に対する占有が他主占有たる性質を変ずるものでないことは明らかである。

一〇  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の、再抗弁に対する答弁

(一)、(二)及び第二の各土地に対する占有が他主占有であることは否認する。

一一  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男の反訴請求原因

1  控訴人高橋喜美、同高橋揚は(一)の土地について、控訴人田井一男は(二)の土地について、それぞれ本訴の抗弁で主張したとおりその所有権を取得し、右各土地を所有している。

2  ところが、被控訴人は、(一)、(二)の土地は同人の所有である旨主張して工作物収去土地明渡の本訴を提起しているので、控訴人高橋喜美、同高橋揚は(一)の土地につき、控訴人田井一男は(二)の土地につき、それぞれ所有権を有することの確認を、求める。

一二  控訴人田中淳の反訴請求原因

1  控訴人田中淳は本訴の抗弁で主張したとおり、第二の土地の所有権を取得し、これを所有している。

2  ところが、被控訴人は、第二の土地の大部分を含む(三)の土地は同人の所有である旨主張して工作物収去土地明渡の本訴を提起しているので、控訴人田中淳は第二の土地につき所有権を有することの確認を求める。

一三  被控訴人の、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の反訴請求原因に対する答弁

控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の本訴抗弁に対する答弁と同旨である。

一四  被控訴人の、反訴に対する抗弁

控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の本訴抗弁に対する再抗弁と同旨である。

一五  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の、反訴抗弁に対する答弁

被控訴人の本訴再抗弁に対する答弁と同旨である。

第三証拠関係 <証拠略>

理由

第一本訴請求について

一  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠、同田井一男、同田中淳(以下「控訴人ら」ともいう。)に対する請求について

1  まず、被控訴人主張の上知令に基づく所有権の取得について検討する。

(一) 上知令は「諸国社寺由諸ノ有無ニ不拘朱印地除地等従前之通被下置候処……今度社寺領現在ノ境内ヲ除ク外一般上知被仰付……」と定めて、従来より社寺が領有してきた免税地のうち、祭典法要に必要な場所を新境内(現境内)と定め、新境内に属する土地(新境内地)は社寺に保留するが、それ以外の新境外に属する土地(新境外地)はすべて上知(国に没収)することにするとともに、太政官達第二五八号をもつて「墓所ヲ除クノ外上地ノ儀御布告ノ通……」と達し、墓所の存する部分は上知の対象から除く旨を明らかにしており、以上によれば、新境外に属する土地であつても、墓地については上知の対象から除いたものと解するのが相当であり、これは、社寺境内外区画取調規則(明治八年六月二九日地租改正事務局達第四号、以下「取調規則」という。)第六条において「左之雛形之通現境内ヲ始地種悉皆記載之帳簿差出スヘキ事……」と定め、その雛形中で「現境内」及び「共有墓地」は「存置候見込之分」としていることからも裏付られるものというべきである。

被控訴人は、太政官達第二五八号にいう前記「墓所」は新境内に属する墓所の意に解釈すべきである旨主張するが、新境内地は上知令上も上知の対象になつていないことに鑑みれば、右太政官達においてわざわざ墓所を上知の対象から除外する趣旨の規定を設けたことが無意味になることから考えても、被控訴人の右解釈は採ることができない。

(二) そこで、本件の場合についてこれをみてみるに、

(1) 本件土地がもと相国寺の寺領地に属する墓地であつたことは当事者間に争いがなく、右事実に、<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すると、相国寺は臨済宗相国寺派本山であつて足利三代将軍義満の創建にかかるもので、相国寺寺院旧境内地は朱印地(将軍の御朱印状により種々の特権が行われた地域。寺院の所有地であるといわれ、免税の特権も与えられた。)であつて、相国寺においてこれを所持ないし支配、進退(占有、管理)していたところ、本件土地は相国寺の旧境内地に属しその南端に所在する墓地であつて、同土地には昭和九年春ころまで墓石が存在していた(本件土地が少なくとも明治一〇年ころまで墓地であつたことは当事者間に争いがない。)ところ、右墓石はそのころ撤去され他へ移設されたため、以後は延寿堂墓地跡と称されてきたが、右撤去された墓石は足利義満の孫にあたる足利義政のそれであつたとも伝えられていること、

相国寺所蔵にかかる、京都府第二部土木課の公印の押捺された相国寺境内外区別略図の凡例記載には、宅地、耕地、林藪、荒蕪、道路については各その右肩に「上地」と肩書きされているが、現境内、墓地(本件土地もこれに属する旨、色別によつて表示されている。)、水路については右肩書きがなく、また、同略図右下欄の坪数の記載においても、現境内坪数、相厳院外一方御墓地坪数、墓地坪数、上地坪数としてそれぞれ記載された数字を合計したものが、旧境内坪数として記載された数字に合致していて、墓地坪数は上地坪数に含まれていないこと、

が認められ、これを左右するに足りるほどの証拠はない。

(2) そして、右認定の事実関係によれば、本件土地は上知令及び太政官達第二五八号制定当時、相国寺の寺領地に属する免税の旧境内墓地であつたと認めるのを相当とするから上知令による上知処分対象外の土地として上知されなかつたものというべきである。

2  次に、被控訴人主張の地租改正に伴う官民有区分による所有権の取得について判断する。

(一) 明治初年における地租改正作業の一環として地所名称区別が制定され、これによつて従前免税地であつた寺領地のうち非上知の新境内地は除税地とされ、また非上知の墓地は明治七年三月一九日大蔵省内規によつて除税地へ編入されることになつたが、その後、改正地所名称区別の制定により、いずれも民有の確証の有無にかかわらず一律に、前記新境内地は官有地第四種に、前記墓地は官有地第三種に、それぞれ編入されることになつた。

(二) 次いで、取調規則が令達され、これは既にこれまでに関係官庁の指令を通じて明らかにされてきた社寺地境内外区画の諸基準を集成し明確化したものとみられるが、これによると、墓地に関しては、新境内から切離して一区画とするが、星散して一区画となし得ぬ場合には新境内に含ましめて取扱うよう指示している。

(三) ところで、地租改正事務局は、右取調規則に続いて地租改正のための地所処分を担当する出張官員のための心得書として仮規則を制定し、その第一章処分方綱領第五条で「地所名称区別ハ昨七年第一二〇号布告ニ従フヘシ」云々と定め、官民有区分による地種決定は前記改正地所名称区別に準拠して取り行うものとしたうえ、その第六章で「墓地処分ノ事」として墓地処分についての準則を掲げたが、その第六章第一条は「従前官有地ニ設クル墳墓ノ地区域ヲナシタル地ハ今度更ニ民有地第三種ト定メ人民共有墓地トナスヘキコト」と規定し、同第二条は「寺院ノ旧境内ニ設クル墓地ハ実地ノ景況ニヨリ境内外ヲ区分シ境外ニ属スルモノハ第一条ノ通処分スヘシ但境内堂塔ニ傍テ所々ニ星散独立シ区域定メカタキ分ハ先ツ以テ従前ノ侭現境内ニ据置キ内訳腹書ニ記載スヘキ事」と規定しているので、改正地所名称区別施行当初官有地第三種に属せしめられるものとされた免税旧境内墓地は、これによつて民有地第三種へ編入することに改められた(なお、その後明治九年六月一三日太政官布告第八八号により民有地第三種は同第二種に改められた。)と解するのが相当である。

(四) そこで、本件の場合についてこれをみてみるに、本件土地は前記のように相国寺の寺領地に属する免税の旧境内墓地であるから、前記改正地所名称区別によれば官有地第三種に編入される適格を有する土地であり、取調規則及び仮規則によれば更に民有地第三種(前記太政官布告第八八号によれば更に民有地第二種)に編入されるべき土地であつたというべきであるところ、更に検討を加えると、

(1) 前掲の<証拠略>は、上京区社寺境内外区別取調帳のうち相国寺に関するものであり、それはその体裁よりして、取調規則第六条に基づき相国寺から提出されたものによつて京都府知事(所管は地理主任)が調製した帳簿であると考えられるが、これには「旧境内此坪数七万百四拾四坪四合壱勺(右行に、七万五拾四坪七合四勺と訂正あり)」とあり、その内訳として「現境内此坪数弐万六千七百九拾四坪八合壱勺(右行に、弐万七千七百七拾三坪七合七勺との訂正あり)是ハ現境内ニ在置見込之分」「相厳身院御墓地此坪数三坪三合是ハ御墓地兆域内ニ存置之分」「光明定院御墓地此坪数三坪七合九勺是ハ前同断」「墓地此坪数千九百四拾七坪九合九勺是ハ墓地トシテ存置見込之分」等の記載があること、

(2) 前掲の<証拠略>は京都府知事(所管は社寺課)が調製した元上京寺院明細帳のうち相国寺に関するもの(作成日付「明治一七年七月」との記載がある。)であつて、これには「境内坪数二万七千七百七拾三坪(右行に、三万二千〇七拾九坪五合八勺、左行に、四万四千八百五拾坪三合七勺と各訂正あり)官有地第四種」との記載があること、

(3) 前掲の<証拠略>は、京都府知事(所管は地理主任)が調製した上京区社寺境内外区別控図のうち相国寺関係の図面であつてそのうちの相国寺境内外区別実測図の右下方には「境内坪数二万八千余坪(一部不鮮明で判読し難い。右行に、二万六千七百九十四坪八合一勺、左行に、二万八千四百七十六坪九合九勺と各訂正あり)」「墓地坪数千九百四拾七坪九合九勺」等の記載があり、同図面中本件土地該当箇所には「墓地弐百八十四坪弐合五勺」との記載があること、

(4) 前掲の<証拠略>は、上京区社寺境内外区別図のうち相国寺境内外区別実測図であり、これはその体裁よりして、前記取調規則第八条に基づき京都府知事(所管は地理主任)が作成調整した絵図面と考えられるが、右図面の右上欄には「旧境内坪数七万五拾四坪七合四勺」とあり、その内訳として「現境内坪数二萬六千七百九拾四坪八合一勺(右行に、四萬四千八百五拾坪三合七勺と訂正あり)」「墓地坪数千九百四拾七坪九合九勺」等の記載があり、右図面中本件土地該当箇所には「墓地」との記載があるほか、右「墓地坪数千九百四拾七坪九合九勺」のうち本件墓地ほか一〇箇所の墓地については境外地に属せしめる趣旨の線引の表示がある(なお、右線引によつて現境内地(新境内地)に属せしめる趣旨に表示された墓地は一〇箇所存在する)こと、

(5) 当審における検証の結果によつて京都府第二部土木課(<証拠略>によれば、京都府に第二部土木課が設置されたのは明治一九年七月二〇日勅令第五四号によることが認められる。)の公印の押捺された相国寺所蔵にかかる相国寺境内外区別略図であることが認められる同図面によれば、同図面は相国寺境内外区別実測図に基づき作成された図面と考えられるが、右図面の右下欄には「旧境内坪数七萬五拾四坪七合四勺」とあり、その内訳として「現境内坪数弐萬六千七百九拾四坪八合壱勺」「墓地坪数千九百四拾七坪九合九勺」等の記載があるほか、現境内(新境内)と墓地とは色分けによつて区別して表示され、本件土地該当箇所は墓地の表示になつており、その表示は前記相国寺境内外区別実測図の線引による区別の表示とほぼ同一であること、

が、それぞれ認められる。

(五) そして、以上(一)ないし(三)の解釈、(四)の判断及び認定の事実関係を総合判断すれば、明治七年一一月七日の改正地所名称区別の制定により、相国寺の新境内地(現境内地)は官有地第四種に、本件墓地は官有地第三種にそれぞれ編入処分されることになつたものであるが、その後同八年の取調規則及び仮規則の制定により、本件墓地は更に民有地第三種(その後同九年六月一三日の太政官布告第八八号により更に民有地第二種)に改められ、国の所有ではなくなつたものと認めるのが相当である。

(六) ところで、被控訴人は、本件土地が被控訴人の所有に属するものであることは、本件土地について、(1)地券も発行されていないし、地券台帳、土地台帳にもその登載がなされていないこと、(2)相国寺から被控訴人主張の下戻の申請がなされた事実がないこと、(3)相国寺が被控訴人の譲与の申請をしていないことからも明らかである旨主張するので、以下これらについて検討する。

(1) まず、被控訴人は、地租改正処分の過程において民有地とされたものについては地券が発行され、その結果地券台帳、土地台帳にその旨登載されているべきものであるのに、本件土地については地券の発行もなければ、右各台帳にもその登載がない旨主張し、本件土地について地券発行の形跡がないこと及び地券台帳、土地台帳にも本件土地が登載されていないことは当事者間に争いがない。

しかしながら、近代的土地所有制度の成立過程において、地券はその発行により新たに近代的土地所有権を創設するものではなく、単に土地所有権を確認、証明するにすぎないものであつたと解すべきであるから、地券の発行のなかつたことが直ちに当該土地の民有地であることを否定するものではないし、また地券台帳、土地台帳も地租徴収に関する基本台帳として機能するものではあつても、その登載の有無によつて土地の実体的所有権を創設したり、消滅させたりするものでないことは断るまでもないところであるから、被控訴人の主張事実はなんら前記認定の妨げとなるものではない。

(2) 次に、被控訴人は、社寺上知処分又は地租改正の際官有地とされた土地について不服のある者は明治三三年六月三〇日までに主務大臣に下戻の申請ができることになつているのに、本件土地についてはそのような事実はない旨主張するが、本件土地に対しては上知処分もなく、官民有区分においても明治八年の取調規則及び仮規則の制定によつて、本件土地は民有地第三種に編入処分されたものと認めるのが相当であること前記説示のとおりであるし、また相国寺が右主張のころまでに、社寺上知処分又は地租改正に伴う官民有区分によつて本件土地が官有地になり、同寺の所有でなくなつたと積極的に意識していたことを確認するに足りる証拠はないから、被控訴人の右主張は失当であり、これをもつて本件土地が国有地であることの根拠とすることはできない。

(3) 更に、被控訴人は、その主張のごとき経緯で従来みなし無償貸付けされていた国有地のうち、宗教活動に必要な部分は社寺等に譲与されることになつたのに、相国寺は昭和二三年四月二〇日同寺使用の国有境内地四万八六六四坪余については譲与申請をなしたが、本件土地については国有地であることを認めておりながら、譲与の申請をしていない旨主張し、相国寺が被控訴人主張のころ同寺使用の国有境内地について譲与申請をしたこと及びその際本件土地については譲与申請をしていないことは当事者間に争いがないし、原審における控訴人田中淳本人尋問の結果中には、相国寺は本件土地は同寺の所有ではないというような意向をもらしていたこともある旨の供述部分もある。

しかしながら、後記認定のように、相国寺は昭和二一年三月ころには、塚本豊吉、田中庄作、三野初雄、高橋貞三らに奉謝金の名目で年額一五〇〇円の支払を受けて本件土地を借用させていたばかりでなく、<証拠略>の結果によれば、相国寺は、昭和三四年には同年一月七日付で京都簡易裁判所に対し、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠の被相続人高橋貞三、控訴人田井一男、同田中淳の兄田中忠雄及び控訴人塚本福の被相続人塚本豊吉を相手に、本件土地は相国寺の所有であるとして工作物収去右土地明渡の調停を申立てていることが認められるほか、控訴人高橋喜美も原審における本人尋問において、相国寺は、あるときは本件土地は相国寺の所有であるといい、あるときはそうでない意向を示していた旨供述しており、以上の諸事情を合せ考えれば、相国寺が被控訴人主張のように本件土地は国有地であることを知つていたとは到底断定し難いから、相国寺が本件土地は国有地であることを知つていたことを前提とする被控訴人の右主張も失当たるを免れず、相国寺が被控訴人主張のように本件土地の譲与申請をしていないことをもつて右土地が国有地であることの根拠とはなしえないものといわなければならない。

3  そうすると、本件土地が被控訴人の所有であることを前提とする被控訴人の控訴人らに対する本訴各請求は、その余の判断を待つまでもなく、いずれも失当たるを免れず、これを棄却すべきである。

二  控訴人塚本福に対する請求について

控訴人塚本福は、被控訴人主張の同控訴人に対する請求原因事実を明らかに争つていないのでこれを自白したものとみなすべく、右事実によれば、被控訴人の同控訴人に対する本訴請求は理由があるから、これを認容すべきである。

第二反訴請求について

一  控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠が高橋貞三の相続人であつて、同控訴人らが高橋貞三の権利を各三分の一あて承継取得したこと、控訴人田中淳が田中庄作の相続人であること及び(一)ないし(三)の各土地が少なくとも明治一〇年ころまで墓地であつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、<証拠略>に弁論の全趣旨を総合すれば、

1  本件土地は、京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町に所在し、同所六三二番、六三三番、六三六番一の各土地に囲まれているが、現況はその南側に同志社大学のセメント造りの塀が存し、東側は隣家と板塀及び新トタン塀(新トタン塀を設置したことについては控訴人高橋喜美と被控訴人との間では争いがない。)で区分され、北側は一段高くなつて東から西に並んでいる控訴人高橋喜美及び同高橋揚方(家屋番号二四二番)、同田井一男方(家屋番号六三六番一)、同田中淳方(家屋番号二三四番)各家屋の裏側と接し、西側は同塚本福方家屋及び隣家に接しており、同田中淳方家屋とその西側の隣家の間に存する幅員二・六メートルの路地を通じて控訴人ら方家屋の北側にある市道に通じていて、いわば、(一)の土地は控訴人高橋喜美及び同高橋揚方の、(二)の土地は同田井一男方の、(三)の土地は同田中淳方の各裏庭のような状況にあること、

2  控訴人ら方の各家屋の敷地(同所六三六番一)はいずれも昭和一六年四月二三日までは相国寺から、その後は財団法人萬年会(相国寺及びその塔頭寺院の従弟教養と維持発展を目的とする団体)から賃借しているものであること、

3  本件土地は昭和九年春ころまでは墓地として相国寺が使用していたが、そのころ墓石が撤去されたところ、当時すでに現在の控訴人田井一男(同控訴人は高橋貞三の妻である控訴人高橋喜美の実弟である。)方家屋に同控訴人とともに居住していた高橋貞三は、(一)、(二)の土地の一部に昭和一〇年ころから草花や野菜の栽培を始め、更に(一)の土地については、その後同控訴人ともども住居を同控訴人所有の東隣の現在の控訴人高橋喜美及び同高橋揚方家屋に移したこともあつて同三四年ころに現在の控訴人田井一男方との間の現存のブロツク塀を築造(高橋貞三がブロツク塀を設置したことは控訴人高橋喜美、同高橋揚と被控訴人との間においては争いがない。)し、同三六年五月二五日には同田井一男からその所有家屋を交換によつて取得する等、同四七年八月九日死亡するに至るまでその占有を継続したこと、

4  (二)の土地については、その北側の現在の控訴人田井一男方家屋の賃貸を受けた小林徳子や三野初雄らも前記高橋貞三と同様にその一部を使用していたけれども、高橋貞三が同一九年六月八日右家屋の所有権を取得したため、同二三年一一月ころ同田井一男が結婚を機に以前居住していた右家屋に移住し、高橋貞三から(二)の土地の使用占有を承継したが、同控訴人は同三六年五月二五日に右家屋を高橋貞三から交換により取得して現在に至るまで右土地の占有を継続していること、

5  控訴人田中淳の被相続人である先代田中庄作は子供の同控訴人とともに昭和九年ころ当時既に現在の同控訴人方家屋を賃借して居住していたものであるが、(三)の土地の北側突出部分の北端の北は公道であつたところ、田中庄作は同控訴人に手伝わせて、同年暮ころからまでには右突出部分の北端に板戸を設置し、また、そのころから(三)の土地に草花や野菜を栽培する等して占有を始めたが、終戦前後ころ(三)の土地から第二の土地(ただし、(三)の土地の北側突出部分の北端より北にある部分を除く。)を除いた部分の右占有を控訴人塚本福の被相続人塚本豊吉に移転し、その後は同二五年七月二四日死亡するに至るまで第二の土地(ただし、前同。)の占有を継続し、右死亡後は控訴人田中淳が右家屋を賃借して居住するとともに、第二の土地(ただし、前同。)の占有を承継し、同三五年に右土地と(二)の土地との間に板塀を築造する等して現在に至つていること、

が認められ、原審における検証の結果中右認定に抵触する部分は前掲の各証拠に比照してにわかに採用できないし、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

控訴人田中淳は、田中庄作ないし同控訴人は第二の土地全体の占有を継続した旨主張するが、右認定のように第二の土地のうち(三)の土地の北側突出部分の北端より北は公道であり、田中庄作自身同控訴人に手伝わせて昭和九年暮ころまでに右突出部分の北端に板戸を設置したのであるから、同人ないし同控訴人において右板戸より北側の土地を占有したとは考えられず、これを認むべき証拠もない。

そして、右認定の事実関係によれば、(一)の土地については少なくともその一部につき高橋貞三が昭和一〇年一月ころから二〇年間その占有を継続し、(二)の土地については少なくともその一部につき高橋貞三が同年同月ころからその占有を開始し、同二三年一一月ころ控訴人田井一男が右占有を承継して通算二〇年間、また(二)の土地全部については同控訴人が同二三年一一月ころから二〇年間それぞれその占有を継続し、第二の土地については、(三)の土地の北側突出部分の北端より北にある部分を除く部分について、田中庄作が昭和一〇年一月一日ころからその占有を開始し同二五年七月二四日控訴人田中淳が右占有を承継して通算二〇年間、また同控訴人自身において、昭和三四年から一〇年間占有を継続したというべきである。

二  そこで、被控訴人の他主占有の抗弁につき判断する。

1  前記一の認定事実によれば、(一)ないし(三)の各土地の一部又は全部の占有を開始ないし承継した高橋貞三、控訴人田井一男、田中庄作、控訴人田中淳らはいずれも借地上家屋の所有者ないし賃借人であつたのであるから、右借地たる家屋敷地の裏庭として右借地といわば一体的利用関係にある右各土地についてのみ、自主占有が成立するとは考えられないのみならず、<証拠略>によれば、田中庄作、塚本豊吉は、三野初雄らとともに、本件土地がかつて相国寺の墓地であつたことから、昭和二一年三月ころ相国寺に対し、本件土地の借用方を文書で願出て、少なくとも昭和二三年ころまでは奉謝金の名目で毎年一五〇〇円を支払つて本件土地を借用していたことが認められる。

もつとも、<証拠略>中の高橋貞三の署名と押印については、それが同人の署名捺印であることを確認するに足りる証拠はないけれども、<証拠略>の結果によれば、高橋貞三は昭和二一年九月ころには右認定の事実を聞知していたが、その後も、前記認定のように、田中庄作、塚本豊吉、三野初雄らとともに合計一五〇〇円を相国寺に支払つていたことが認められ、他に以上の認定を左右するに足りるほどの証拠はない。

2  そして、以上の諸事情を合せ考えれば、高橋貞三、控訴人田井一男、田中庄作、控訴人田中淳の前記認定の各占有は、いずれも他主占有であつたものと認めるのが相当であるから、被控訴人の右抗弁は理由があるものというべきである。

なお、相国寺が昭和三四年一月七日付で京都簡易裁判所に対し、本件土地は同寺の所有であるとして、高橋貞三、控訴人田井一男、同田中淳の兄田中忠雄及び塚本豊吉を相手に本件土地明渡の調停を申立てたことは前に認定のとおりであり、原審における控訴人高橋喜美、同田井一男、同田中淳各本人尋問の結果によれば、控訴人らが右調停期日において、不動産登記簿調査の結果では相国寺の本件土地の所有権には疑問があり、控訴人らないしその被相続人の本件土地に対する時効取得を認めてほしい旨主張したことが認められるけれども、これをもつて民法一八五条所定の占有の転換があつたとはいい難い。

三  そうすると、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の時効取得の主張はいずれも失当であり、したがつて同控訴人らが右時効取得によつてそれぞれ(一)、(二)及び第二の各土地の所有権を取得したことを原因とする同控訴人らの各反訴請求は、その余の判断に及ぶまでもなく、いずれも失当として棄却すべきである。

第三結論

以上の次第であつてみれば、原判決中、被控訴人の控訴人高橋喜美、同高橋揚、同高橋悠、同田井一男、同田中淳に対する本訴各請求を認容した部分は不当であるから、民訴法三八六条によつてこれを取消したうえ、右本訴各請求はいずれもこれを棄却し、被控訴人の控訴人塚本福に対する請求を認容し、控訴人高橋喜美、同高橋揚、同田井一男、同田中淳の被控訴人に対する反訴各請求を棄却した部分はいずれも相当であつて右各控訴人らの右各部分に対する各控訴は理由がないから同法三八四条によつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき同法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 島崎三郎 古川正孝 篠原勝美)

第一、二物件目録 <略>

相国寺南門前町実測図(一)ないし(三) <略>

土地測量図 <略>

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